教師といえば、あらゆる場面において「話す」機会が多いものです。
授業中、休み時間、面談、放課後・・・常に何かしら喋っているような気がします。
教科指導・生徒指導に関わるものから教師の個人的な話まで、その幅はかなり広いです。
授業の内容は覚えてないけど、先生がペットの話をしていたのは覚えている。
歴史の授業は全く頭に入らないのに、授業のスキマ時間に先生が話していた雑学だけはなぜか覚えている。
このような経験があるという方も多いのではないでしょうか。
教師が何気なく語る話ほど、意外と子どもたちの記憶に残っているものです。
今回は、子どもたちに伝えたい、ちょっとした話を取り上げたいと思います。
私の実体験や個人的な考え方が色濃く反映されているかと思いますので、「こういう考え方もあるのか」という軽い気持ちで読んでみてください。
教員の方で、もし共感できる部分がありましたら、朝の会や帰りの会、また指導のタイミングなどを狙って、子どもたちに伝えてみてください。
テーマは「どうせやるなら、楽しくやろう」です。
「どうせやるなら楽しく」にたどり着いた経緯
私が「どうせやるなら、楽しくやろう」という考えにたどり着いたのは、学生時代です。
特に、部活動をしていた中学・高校時代はこの考えを強く持っていました。
部活動は主に放課後や土日に行われます。(昨今の働き方改革によって、この辺りは変わっているのかもしれませんが。)
本来部活がなければ、宿題したり遊んだりと思い思いの過ごし方ができる時間帯です。
そんな中、そこそこ長い時間を割いて活動するうえに、所属している以上活動には参加しなければなりません。
私は中学校で運動部、高校で文化部に所属していましたが、部活が全く苦ではない人間でしたので、
「練習がだるい」
「やりたくない」
と言っている部活仲間に対して、
たとえ面倒でも結局やらなければならないのだから、
どうせなら楽しんでやる方がいいだろうに、と思っていました。
これが、「どうせやるなら楽しくやろう」の出発点です。
正確には、単に「楽しくやろう」というよりも「自分なりにポジティブに捉えて行動しよう」という意味合いです。
子どもたちに伝えることを前提に、分かりやすく「楽しく」という言葉に言い換えて考えています。
所詮はきれいごとでは?
「どうせやるなら楽しくやろう」
このようなことを言うと、
「それはそうなのだが、極論すぎる。」「所詮はきれいごとだ。」
という意見が聞こえてきそうです。
そこで私は声を大にして言いたいのです。
「きれいごとでもいいじゃないか。」
運動部時代の走り込みのトレーニングは苦しかったけれど、自分の体力が向上している気がしたり、走り切った後の達成感があったりして、「大変だけど何だか気分が爽やかだなぁ」と感じたことがあります。
文化部時代の楽器の基礎練習は退屈だったけれど、「この練習を繰り返すことで、上手く弾けないあのフレーズも楽に弾けるようになるかもしれない」と気持ちが明るくなったことがあります。
つまり私には、
「しんどくて面倒だが、それでも頑張ってみたら意外と心地よい瞬間がある(かもしれない)ものだ」
と感じた具体的な経験があります。
だからこそ、私には「どうせやるなら前向きに楽しくいこう」という発想があるのだと思います。
楽にしようと思えばいくらでも楽はできる。
エネルギーも使わなくて済む。
それにも関わらず、
「一定の時間を、それが最善の時間になるよう、ひたむきに努力する」
なんて素敵で美しいことなのだろうか。
きれいごとでも良いじゃないか。
と私は考えています。
全てを前向きに捉える必要はない
自分が置かれている状況全てを肯定的に受け入れ、「よし頑張るぞ!」と全てをポジティブに捉えることは困難です。不可能と言っても良いくらいでしょう。
だからこそ、「つらい」「苦しい」「面倒だ」という負の側面があることを理解し受け止めたうえで、「それでも、まあどうせやるのなら、前向きにやってみるか」と考えることを提案していきたいのです。
勝手な想像ですが、プロのスポーツ選手でも、トレーニングや食事制限を苦痛に感じる選手はきっといるはずです。
彼らは「苦しいけど頑張るぞ、やったるぞ~」という思考を獲得しているのではないかと思うのです。
最後に
学校という場所では、どうしても「問題が解けたかどうか」「早く終えられたかどうか」という結果ばかりが無意識のうちに目に留められがちです。
望む結果が出なければ、自分自身にすぐに否定的な評価を下してしまう子どももいることでしょう。
そんな子どもたちに、「結果だけでなく、そこまでの過程・取り組み方に目を向けても良いのではないか」とメッセージを送る意味でも、今回お伝えした考え方は多少なりとも意義あるものなのではないかと思います。
「努力しても結果に結びつかず終わってしまうかもしれない。でも、とりあえずやってみようか。」
どうせやるなら楽しくやろう
たまには挑戦しても良いのではないでしょうか。